親切心って伝わっているんでしょうか?なんと驚きの35倍の差とは
シンプルライフが目標で、人づきあいもシンプルで適度な関係、できるだけこだわりすぎないように心がけているつもりなんです。
そうは言っても「親切」は誰かからしてもらっても、誰かにしてあげても、とてもあたたかくて良いものですよね。
しかし、自分が思っているほど相手はその親切を感じていないこともあるようです。
親切をする側と受け取る相手との感じ方に大きなギャップがあるということをお伝えしたいと思います。
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「あの人にはあんなに親切にしてあげたのに・・・。」、「すごく目をかけて親切にしていたのに・・・。」と現実が思いと違っていて、がっかりすることって結構ありますよね。
しかし、「のに」といってもジュースではありませんが(すいません・・・。)、「のに」がつくとグチがでると相田みつおさんもおっしゃっているそうですのであまり使いたい言葉ではありませんよね。
自分にも経験があるんです。
その時は、自分の親切は相手に伝わっていなかったのかなと、相手との距離を感じてとても寂しい気持ちになったのを覚えています。
「してあげた親切」と「してもらった親切」
精神科医のゆうきゆう先生が、雑誌に寄稿された興味深い記事を読みました。
そこには、ある心理学者の研究のことが書かれてたんですが、その研究とは、大学生400名に「人にしてあげた親切な行動」と「人にしてもらった親切な行動」をそれぞれ書き出させるというものでした。
どれくらいの差があったと思いますか?
結果は、「人にしてあげた親切な行動」が35に対して、「人にしてもらった親切な行動」はわずか1。
なんと、実に35倍も差があったんです。
シャレにならない大きな差ですね。
ゆうき先生の分析によると、親切を受けるということは、恩を受けるということで、恩を返さねばならないと心の負担になるためにすぐに忘れてしまったり、あれは恩じゃないと過小に考えてしまった結果、このような差になるということでした。
しかし、35倍ってすごい差ですよね。そう思いませんか?
してあげた親切の1/35しか相手には伝わっていないなんて、やっぱり親切ってなかなか相手には伝わらないものなんですね。
私の経験「トホホ」な話
この話は、私が実際に経験したことなのですが、今では笑い話になりました。
ずいぶん前のことです。夜中に後輩から電話がかかってきました。なんだこんな夜分にと思いながら電話にでたんです。
彼の話は、一緒に飲んでいた友人が酔いつぶれてしまい店から出たところで動けなくなってしまった。タクシーも止まってくれないし車を出してもらえないかという、どうしようもなくなってしまった切羽詰まった声での依頼でした。
かわいそうに思って了解し、車で送りました。正直なところ自分は後輩のことなので見返りや感謝などは期待してはいませんでした。
しかし、この一件のことは、きっと忘れずにはいてくれるだろうとぼんやり思っていました。
半年ほどたって、今度は逆に自分が同じ状況になった時のことです。酔いつぶれたわけではなかったのですが、あの時のことは覚えてくれているだろうと多少の期待を感じながら、その後輩に車を出してもらえないかと連絡しました。
なんと、見事にキッパリと断られました!
怒りとか悲しいとかの感情よりも、時間が止まりましたね。
今、後輩にその時の話しをしても多分きれいサッパリ忘れていると思います。これが現実なんでしょうね。
そう考えると「○○してあげたのに・・・。」と腹を立てるなんて意味が無さそうですし、いちいち腹も立てたりキレたりしたくないものです。
こんな話もありますしね。
しかし、逆に言えば、自分も認識が無いだけで相手から親切を受けているのかもしれません。
(でも、さっきの後輩から親切を受けた記憶は、どうしても思い出せないんですが・・・。)
そういうわけで私は、知らない間に相手をガッカリさせないためにも、自分の気づかない親切のお返しをしていきたいなと思っています。
1/35くらいは、感謝されるかもしれませんね。しかし、親切にするってムズカシイものですね。
あなたは、どう思いますか?